ちきりや

やがて社交の場として、「会所の茶」が流行しました。会所とは、接客の為の部屋のことで、そこに当時流行していた唐物の絵画・墨蹟・花瓶・香炉などを飾り、唐物の茶道具を使ってお茶を淹れるのが習わしでした。それらを観賞しながら、お茶を飲んだり、和歌や連歌などを詠んだりしていました。 1320年頃に、そういった会所の茶が、遊興的な「闘茶」へと広がりました。茶歌舞伎や茶香服、茶寄合とも呼ばれるもので、お茶を飲む習慣のあった貴族や武士たちの遊びとして流行しました。お茶を飲んでその産地をを当てるという遊びです。当初は、明恵上人がもたらした栂ノ尾の茶を「本茶」、それ以外の産地のお茶を「非茶」として、茶を飲み比べて当てるというものでした。